いい妻、いい夫はこうあるべきの時代は終わった。

 

 

こんにちは。最近こんなツイートをしました。

 

皆さんはこの引用ツイート元の図解はどう思われましたか?

 

そもそもですが、僕は別れたくない妻になるためにの「別れたくない妻」というキーワードがとても引っかかりました。

 

この別れたくない妻ってなんなんでしょうか。別れるか別れはないかは自分で決めてもいいはずなのに、なぜ妻だけが別れられないようにしなくてはならないのでしょうか?結婚してまで相手の顔色を毎日見て、媚び諂う日々を送ることは果たして幸せでしょうか?それがみんなの求める結婚生活なのでしょうか?

 

本当にこの図解は薄っぺらく一方的で深い考察が全くされていないと感じました。

 

相手に自分の理想を押し付けるだけの時代は終わった。

皆さんは「関白宣言」という歌はご存知だろうか?関白宣言は1979年に発売されたさだまさしさんの楽曲で、結婚を前にした男が相手の女性に向けて「亭主関白」となることを宣言しつつも、自分のもろさや弱さ、相手への深い依存心をのぞかせ、不器用な愛情を吐露していく、という想いをコミカルに歌い上げているヒットソングです。

(知らない方は歌詞をググってみて下さい。)

 

歌自体はメロディも素敵で、その時代の価値観とマッチしていたのかなと思います。

 

しかし、今あの歌をリリースしたら間違いなく炎上していたに違いないと思うのです。

 

ある意味、とても古い価値観で昭和的な歌であります。

 

女性が家事や子育てをして、男が働く、これはこれで素晴らしく場合によっては効率的であるとは思いますが、それだけを押し付ける時代ではもうないと僕は思うのです。

 

つまり、男性、女性に限らず、自分らしく自由に生きること、性別に関係なく多様な生き方が受け入れらる世の中こそ、本来の社会の在り方じゃないでしょうか。

 

多様性を認め合う社会を実現するためには、男性でも家事が得意な人がいて、女性でも仕事ができる人もいる。そういう人たちが人間らしく生きる社会を目指すべきなんです。

そうなった時に、一方的に女性は〜男性は〜こうあるべきなどといった考え方はとても保守的で古臭く自分らしく生きていこうと思っている人たちにとって呪いの言葉になってしまいます。

 

ただ多様性というのは、本質的には女性は男性はこうあるべきという考えも一つの考え方として全てを受け入れるという発想ですから、この考え方を真っ向から否定しているわけではありません。ですが、頑張る人も頑張らない人もいてもいいし、そういう考え方を押し付けない社会を目指すことが本来の多様性を受け入れる自由な社会なのではと思うのです。

 

それではまた。

給料以上に頑張る国「ニッポン」

こんにちは、じゅどです。

 

少し前にこんな記事が話題になっていました。

これはオリンピックで掃除のアルバイトをしていた女性が、労働環境の厳しさや賃金の低さを訴えた記事なのですが

 

この記事に対して

「掃除のバイトなんだから時給1,500円も貰えれば十分だろ」

「働く時間も賃金も何も問題ないのでは?」

といったような意見が多数寄せられていました。

 

しかし、果たして本当にそうなんでしょうか?

この清掃員で時給が1,500円貰えるのは普通?むしろ多い?といった感覚自体に僕は問題があるように思います。

 

物価が安い国日本

皆さんは日本の物価がかなり安いことはご存じでしょうか?

 

例えば、100円ショップ

100円ショップといえば我々の生活の強い味方でありますが、日本の「100円ショップ」で売られている商品は、米国では約162円、ブラジルでは215円、タイでは214円、生産地の中国でも153円するのです。我々が当たり前に100円で買っているその商品は、海外で全く同じものが日本より高く販売されています。

 

それ以外にも、みんな大好き夢の国「ディズニーランド」こちらのチケットも東京は7500円でカリフォルニア(1万3934円)の半額ほど。パリ(1万1365円)や上海(8824円)と比べても安さは群を抜き、世界一安いのが日本なんです。

 

ちょっと前に中国人の爆買いがニュースなどで話題になっていましたが、あれは日本製品がいいということだけでなく、いい製品がかなり安く買えるということで彼らは爆買いしていたということなんですね。

 

ここ数十年の経済停滞などが主な原因となり物価がとても安くなっているのが今の日本なんです。

 

物価が安いことはいいことなのでは?

安いことはいいことなのでは?と思う方がいらっしゃるかと思いますが、確かに一個人だけを見たら生活費は安くあげることに越したことはありません。しかし、商品やサービスが安いということはそこで働く人の給料も比例して安くなり、働く人の給料が安くなるということは、その人たちの生活で消費するお金も少なくなるため、回りまわって結果として自分の収入も安くなってしまうということなんです。

 

つまり、物価が安くなるということは、結果として日本全体が貧乏になっているということなんですね。

 

そう考えると、ちょっとほってはおけない問題ですよね。

 

ここで冒頭の記事に戻ります。清掃員の時給が1,500円で十分だ!贅沢言うな!と騒ぐことは正しい反応なのでしょうか?

 

日本には「おもてなし」などという言葉があるように、安いサービス料で素晴らしい接客をすることを美徳とするような文化があります。しかし、先に述べたように高品質なものを安く売っていたら日本はいつまで経っても貧乏なままです。

なので、安いサービス料ならサービスもそれなりにとするべきだと思いますし、逆にいいものはどんどん高くしていくべきだと僕は考えます。

 

この「安いものはそれなりに、いいものは高く」とすることで、頑張った分だけしっかりと給料に還元されて、結果としていい意味での物価が上がり、日本が豊かになっていくといういい循環が起こり出すのです。

 

つまり、私たちが声をあげるべきなのは、時給1,500円に対して十分だ!貰い過ぎだ!などと騒ぐのではなく、もっと高くしろ!安すぎる!と声をあげるべきなのではないのでしょうか。

 

今日のお話をもっと詳しく知りたいという方はこちらの本をぜひ読んでいただければと思います。

それではまた!

近所にいる謎のおじさんの話

こんにちは、じゅどです。

 

毎朝の散歩をかかさない生活が続いている僕ですが、そんな散歩中に出会った謎のおじさんについて書こうと思います。

 

はじめにお断りしておきますが、この話には一切オチ的なものはありません。

単に僕が出会った謎のおじさんについて書いているだけなのでご了承ください。

 

先ほど書いたように、ここ数か月は健康とダイエットを目的に毎朝1時間程度、早起きしては近所を散歩する生活を続けているのですが、毎日同じ経路を歩いてもおもしろくないので毎回経路を少しづつ変えて歩いています。

 

いつもの違う道を歩いていると色々な発見があります。

 

お、こんなところにコンビニができるのか!こんなところに大型分譲地が!美容院や歯医者って多いんだな~こんな具合です。

 

たまに間違えて行き止まりの住宅街に入ってしまい、その分譲地の住民だと思われて現地の人と挨拶を交わし、進んだ道をまた戻るというバツの悪い思いをしたりと。そんな時に限ってカモフラのパーカーに黒い帽子と黒いマスクというなんとも怪しい服装だったりして(笑)

 

まぁそんなこんなで毎朝のウォーキングライフを送っていたのですが、その日もいつものように知らない道を歩いていました。

その日入った道は向かって左側に住宅街があり右側には墓地があるという道で、朝でありながら少し不気味な雰囲気を感じながら道を進みます。

 

墓地に気を取られながら進んでいくと、左側の住宅の前の駐車スペース?のような場所にボロボロの白い車が停まっているのが見えました。

よく見るとタイヤはパンクし、外装もサビだらけ、車の中や屋根にはゴミが山積みです。

 

家を見ると特に変な様子はなく、普通に築20年程度の一般的な日本の一戸建てといった感じです。

 

なんで住宅の敷地内にこんな廃車が停めてるあるんだろう・・・?

 

そんなことを感じながら車に注目をしつつ歩き進むと、突然車中から強烈な視線を感じたのです。

 

なんと、車の中にホームレス?のようなおじさんが乗っており、こちらを睨みつけるように見ているのです。

 

僕はギョッとして、すぐに目を逸らし足早にその場から立ち去りました。

 

あれはなんだ?僕にしか見えなかったのか?いやいや朝だし幽霊なわけはない。

ホームレスか?ホームレスならなぜあんな住宅の敷地内に居られるんだ?

たまたま今日だけ居たのだろうか?

 

様々な疑問が湧いてきます。

考えても答えは出ないので、一旦は忘れることにしました。

 

それから何日か経ったある日、そうだ!あの謎のおじさんが居た場所にまた行ってみよう!となりました。ちょっと怖いのですが、怖いもの見たさとあれは何なのかを知りたいという好奇心もあるためです。

 

現場に向かいます。いつものように左側には住宅街、右側は墓地、もう墓地なんか怖くありません。僕が怖いのは謎のおじさん。

 

順調に歩き進んで進んでいくと、、、今日も居る!!

 

今日もこちらをばっちり威嚇しています。

 

今回も前回と同じくなるべく目を合わせないようにしてその場を去りました。

 

やっぱ居た!今日も居た!いつもいるのか!?

でも、ホームレスだとしたらあの家の住民もほっておかないだろうし何なんだだろう。

 

今日も答えは出ませんでした。

 

それから僕の謎のおじさんを観察する日々がはじまるのです。

 

いつもの道からだとおじさんを目があってしまい、僕も観察ができず、おじさんもあまり見られたくないような雰囲気なので、そっと遠くから観察することにします。

 

今日も居る!僕の歩く時間は朝の7時ぐらいなので結構早起きな様子。

今日はタバコを吸っています!いつもは車の中にいるのですが、車の外でタバコをふかしていました。タバコはどうやって買ったんだろう?

今日は何やら家から出て来た人と会話をしているようです!やっぱり知り合い?息子か?

 

色々と観察してわかったことは

・あのオンボロ車は住居であるということ

・喫煙者であること

・あの敷地の住民とは知り合い?

 

ただ、それ以上のことはわかりませんでした。

結局モヤモヤするばかりで何一つ情報に進展はなく日々が過ぎていくのでした。

 

そんなある日、そうだ!GoogleMapで見たらどうなっているんだろう!?そんな疑問が湧いてきます。

 

確かに、インターネットからなら安全にあのおじさんが観察できるかもしれない!

そんなよくわからない高揚感でPCを立ち上げ早速GoogleMapで謎のおじさんの居たエリアを拡大していきます。

f:id:modern_man_jp:20210916124146p:plain

そうそう、右に墓地、左に住宅街のここね!

f:id:modern_man_jp:20210916124245p:plain

お~車?あるっぽい?

f:id:modern_man_jp:20210916124340p:plain

お~!!!車がある!テンション上がる~~!!!

f:id:modern_man_jp:20210916124438p:plain

謎のおじさんおるやん!!しかもこっち見てる!!w

 

撮影日を見ると2019年3月!ということは最低でも2年以上はここに居ることになります。

 

めちゃくちゃテンションが上がった僕ですが、これを誰にも話していないしこの感動?を共有できる相手もいません。

 

ただ、謎のおじさんはずっとここに住んでいて、住民と何らかの形でうまく関係を築き生活しているということはわかりました。

 

結局、これ以上もこれ以下でもない特にオチのない謎のおじさんの話でした。

 

最後に

この記事を読んでいただきありがとうございます。最後に皆さんにお伝えしたいのは、決して僕はおじさんのことを晒したり馬鹿にしたいわけではありません。(なのでどこですか?みたいなお問い合わせはお控えください)

ただただ、僕の私生活の中でたまたま謎のおじさんと出会い、そして最終的にGoogleMapで発見してしまっただけの話です。もし不快に思う方がいらっしゃったらお詫び申し上げます。

【効率厨】無駄な時間を減らしてワンランク上の生き方を

こんにちは、じゅどです。

 

突然ですが、最近奥さんと話しながらふと感じたんですが

人間ってどうでもいいことに悩み過ぎじゃないですか?

 

朝起きたら何を食べる?

今日は何の服を着よう?

テレビは何チャンネルをつける?

柔軟剤はどっちにしようかな?

 

こんな具合です。

 

これって意味があるのかな?って思っちゃったんですよね。

今日は人間の悩みと無駄な時間を削るためにはどうしたらいいのかについて書いていきます。

 

■選択の自由は幸せか?

選択の自由があるということは幸せなことなんですが、そんなどうでもいい(と言ったら怒られるかも)ことに時間を使うことは、すごくもったいないと思うんですよね。

なんせ僕らの生きている時間は有限で、過ぎた時間は絶対にかえってはこないので。

 

あるデータによると人間の一日の決断回数は35000回とも言われています。

※英語の記事ですいません。

go.roberts.edu

 

え?そんなに?と思った方がいらっしゃるかと思いますが、うちの奥さんの例を挙げたように、人間は起きた時から寝る瞬間まで生活の中でありとあらゆる意思決定をしているということなんですね。

 

■人間の一日の意思決定の数には限界がある?

意思決定の回数が多いのはご理解いただけたと思います。

でも、別に決断回数が多くてもいいじゃないかと思った方もいらっしゃると思いますが、実は最新の脳科学の研究結果では「人間は1日に10回程度しかよい意思決定をできない」とも言われています。

 

人によりこの回数は違うようですが、大体10回程度とのこと。

こうなるとちょっと話が変わってきますよね。

 

しかも、決断回数をあまりにも超えると、人間は「欲望」に支配されてしまうらしいのです。

 

皆さんもこんな経験ないでしょうか?

疲れた時に「怒りっぽくなった」「暴飲暴食をしてしまった」「衝動買いをした」これらほぼすべてがそれにあたります。

 

つまり、無駄な決断が脳を疲弊させ、疲弊した脳は欲望に支配されてしまうという負の連鎖が起こってしまうということです。

 

■無駄な意思決定を減らすために

ここぞという時にしっかりとよい意思決定をするためにはどうしたらよいか?

その答えは、脳に余裕を持たせておくことです。スマホで例えるなら再起動後のアプリを起動していない状態を作るといった感じでしょうか。

 

その状態を作るために有効なのが

ルーティン化です。

 

例えば僕の場合ですが、朝起きたら1時間ほどのワークアウト、朝ご飯は毎朝パン、着る服も同じデザインの色違いのTシャツと短パン、仕事もメールチェックをしたら午前はクリエイティブな仕事で夕方からは単純作業に移る、こんな感じでなるべく一日の生活の流れをルーティン化しています。

 

これにより、無駄な意思決定を最小限にして大事な10枚のカードをいつでも切れるようにしているというわけです。

 

ルーティンを作るのは、はじめこそ苦労するかもしれませんが1週間もやってしまえば、自動操縦のように体に覚えこませられるので、一度流れを作ってしまえばあとは流れにのってこなすのみなんですね。

ダイエットも同じような方法でやったので興味のある方はこちらの記事もぜひ。

modern-man-jp.hatenablog.com

 

ということで、今日は無駄な時間とよい意思決定について書いてみました。

それではまた!

【買い物ジャンキー】誘惑の多い世の中で買い物で失敗しない方法

こんにちは、じゅどです。

 

皆さん、買い物は好きですか?

僕はというとショッピングモールからアウトレットに始まり、最近ではアマゾンやメルカリまで、セールとわかれば飛びついて、帰りは両手いっぱいに(ネットならカートいっぱい)荷物があることに満足感を得て帰宅するほどの買い物好きです。

 

世の中の色んなところでしょっちゅうバーゲンやセールが開催され、最近は店にいかなくてもスマホ一つでありとあらゆるものが購入できる便利な時代になりました。

 

しかし、最近思うんです。

 

これって本当に必要だったかな?と。

 

今日はそんな誘惑だらけの世の中で買い物で失敗しない方法について書いていこうと思います。

 

なぜ買ってしまうのか?

皆さんはこんな経験はないでしょうか。

セール中のワゴンから争奪戦で買ったのはいいけど一度も袖を通していない服がある。

別に欲しいものがあったわけでもないのにアプリを適当に眺めていたらいつの間にか購入していた。

 

モノを買うことは別に悪いことではありません。

むしろ、センスを磨くためにはそれなりに色々なものを買っては試してを繰り返さないと得られない経験だとは思います。

 

ただ、本当に必要なものを買っているか?

…というとちょっと自信がないですよね。

 

これはすべてのことに言えますが、人間は服でも音楽でも異性でも出会った瞬間が一番魅力的に感じてしまう生き物なのです。欲しい!と思った瞬間に脳内麻薬のアドレナリンがドバドバ出ていわゆる興奮状態になります。

 

目の前に飛び込んできた一見魅力的に見える商品を手に入れたい!という衝動は人間の狩猟本能に関係しています。人間はそもそも狩猟民族ですから、獲物を捕まえることでその後の安定した生活を手に入れるができ、結果として満足感や幸福感を得ることができるのです。

だからやめられないのです。

 

では、衝動的な購買意欲が沸いてきたらそこでどう冷静になったらいいのか?

実はとってもシンプルなコツがあります。

 

ルールを一つ決めるだけ

何かモノを買おうと思った時に、ぜひ下記のルールで考えて下さい。

 

「欲しい理由が値段なら買わない、買えない理由が値段なら買う」

 

一見何それ?と思うかもしれませんが、これが意外と理にかなっているのです。

 

例えば、人がモノを欲しい!と思った時、以下のような理由があげられます。

 

パターン①

・価格がとても安く買わないと損だと思ってしまった。

 

今だけ!タイムセールなどがこの手法です。

これは買うべきではありません。

 

パターン①のよくない所は、時間がない!無くなってしまうかも!という気持ちから冷静な判断ができなくなってしまうことです。

 

また、モノの価値を「自分にとってどんなメリットがあるか」ではなく、「安い」という部分にフォーカスしてしまっているため、本来の目的である「自分にとって必要か?」という視点が失われ安いから欲しい!とという手段が目的にすり替わってしまっているのです。購入後に後悔することが多いのが値段に釣られて購入してしまったケースです。

 

このように、欲しい理由が値段だった場合では、実は要らないモノを買ってしまったり、安いというだけで粗悪なモノを購入してしまうリスクがありますので気をつけましょう。

 

パターン②

・購入することで自分にとってのメリットが明確だが、値段が高いから買おうか迷っている。

 

パターン②では、モノを購入することで得られるメリットや生活の変化は明確です。しかし、値段が高く購入に踏み切れないケースです。パターン②の場合は購入すべきです。

 

パターン①に比べてパターン②の大きな違いは、モノの購入によって「生活に変化をもたらすという目的」を果たすために「購入という手段」があるという購買活動の本来の姿だということです。この場合は無理をしてでも購入すべきですし、購入後に後悔することは少ないです。

 

このように、僕は買い物をする際に

「欲しい理由が値段なら買わない、買えない理由が値段なら買う」

というルールにのっとってモノを買うようしています。

このルールで買い物をするようになってから明らかに失敗が減りました。

 

いかがだったでしょうか?

少しでも皆さんのお役に立ちますと幸いです。それでは!

 

【SNS中毒者必見】情報デトックスをはじめよう

こんにちはじゅどです。

皆さん、SNSやってますか?

毎日いいねやフォロワーの数で一喜一憂してませんか?

 

今日は、そんな皆さんにこの情報メタボ社会でわたし達はどう生きていくべきかについて書いていこうと思います。

 

いや〜SNSって楽しいですよね。自分のツイートがバズると通知が止まらなくなり、フォロワーが一気に増えて、何か世の中にものすごい影響を与え、自分が神にでもなったような(大げさ!?)そんな気分になれます。

 

しかし、同時にこんな経験もないでしょうか?

・いいねやリツイートなどの通知が気になってスマホばかり見てしまう

・どこかの誰かの批判的な意見で凹む

・フォロワーが減ってしまい悲しい。

そんな人はちょっと注意が必要かもしれません。

 

タダより高いものはない。

SNSは、リアルタイムな情報拡散能力で世の中のことを素早くキャッチでき、かつ自分自身の発言の場を持てるというメリットがあります。

一方で、最近は誤った情報が拡散されてしまい社会問題となったり、スマホの高い依存性が記憶力の低下や鬱状態を引き起こす要因となっているという声もあります。

※諸説あります。

 

わたし達が使っているFacebookTwitterInstagram、これらSNSは基本タダで利用が可能です。 タダなのにどうやって収益を上げているのかというと、これらサービスのほとんどが広告収入が主な収入源です。広告をいかに多くの利用者の見せて購買に結びつけられるかこれが簡単に言うと彼らのビジネスモデルなわけです。

 

なので、この広告を見せるために彼らは様々なあの手この手を使い、結果わたし達はスマホ中毒にされていると言っても過言ではありません。

 

皆さんはこんな経験はないでしょうか?

つい、何か面白い情報があるんじゃないか?何か自分に有益な情報があるんじゃないか?そんな風に思いながらひたすらアプリをスワイプしたり、自分に何かしらの通知があるんじゃないか?と何度も何度もスマホを見てしまい、気づいたらいつの間にか何時間も過ぎていたみたいな経験が。

 

このあたりの話を詳しく知りたい方はこれらのコンテンツで詳しく解説されています。

www.netflix.com

 

つまり、人間にとって命と言っても過言ではない「時間」と引き換えに、わたし達は膨大な「意味のない情報」を提供され、さらには中毒状態にされているということなんです。

 

現代社会の1日の情報量は奈良時代の1年分

皆さんご存知でしょうか?人間の脳もパソコンやスマホと同じで記憶量には限界があるということを。

 

わたし達の脳は新しい情報が入ってきた時に、それが必要な情報か不必要な情報かを判断し、必要であれば記憶し不必要であれば無視してていくというのはご存知かと思います。

実は、それ以外にも不要だと判断した記憶は忘れ、覚えておかなれければいけない記憶だけを記憶領域に留めておくといったような働きを無意識のうちにやっています。つまり、忘れるということで脳の適切なキャパシティを保っているということなんですね。

 

しかし、昨今のスマートフォンの登場により膨大な情報量が、前述したような何か自分にとって重要かもしれない?そんな錯覚により強制的にどばどばと脳に流し込まれているのです。あるデータでは現代社会の1日の情報量は奈良時代の1年分とも言われています。

 

このような状態が続くと、当然脳がその情報量を処理できなくなり、結果として記憶力・集中力・注意力の低下などが起こります。

 

スマホからの情報は必要なのか?

皆さん、ちょっと考えてみてください。

 

皆さんは2週間前にSNSで起きた出来事をまだ覚えていますか?

 

おそらくですが、ほとんどの人が覚えていないと答えるでしょう。

 

つまり、それが答えなんです。 

 

あってもなくても何も変わらない。そんな無意味な情報のために、目の前にいる人との貴重な時間を犠牲にする必要はありますか。

 

 

脳はもっといいことに使おう

わたし達の目や脳といった五感は、そんなことをするためにあるわけではないはずです。美しいものを見たり、音楽を聞いたり、誰かと会話をしたり、そういったものを通じて人生を豊かにするためについているはずです。

 

冒頭で紹介したように、僕はもういいねやリツイート、フォロワーといった何の意味もない単なる数字に惑わされるのはバカバカしいなと最近は感じるようになりました。

発言する際にもいいねやリツイートがいくついくかではなく、少しでも誰かの役に立ったり、楽しい時間を提供できたらいいなと思うようになりました。

 

それからというもの、心が雲の晴れた空のようにようにすっと軽くなった気がします。

今まで使っていたものをいきなりゼロにするのは難しいかもしれませんが、これを読んだきっかけに少し情報デトックスをしてみてはいかがでしょうか?

 

それではまた!